未解決事件「ゾディアック事件」犯人は誰なのか?

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ゾディアック事件とは―カリフォルニアを震撼させた連続殺人事件の概要

1960年代後半から1970年代初頭にかけて、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部を恐怖に陥れた連続殺人事件―ゾディアック事件。この未解決事件は、半世紀以上経った今もなお多くの謎に包まれています。

ゾディアック・キラーと自称する犯人は、1968年12月から1969年10月の間に、サンフランシスコ・ベイエリアを中心に少なくとも5人の殺害を確定させ、さらに2人に重傷を負わせました。ただし、犯人自身は手紙の中で「37人殺した」と主張しており、実際の被害者数については諸説あります。

被害者の特徴としては、10代後半から20代の若いカップルが多かったことが挙げられます。彼らは人気のない場所でデートをしているところを襲撃されるというパターンが見られました。最初の犠牲者となったのは、ベニシアの郊外で射殺されたデビッド・ファラデイ(17歳)とベティ・ルー・ジェンセン(16歳)でした。

ゾディアック・キラーの特徴的な行動パターンとして、犯行後に地元紙に暗号文と犯行声明を送りつけるという点が挙げられます。1969年7月31日、サンフランシスコの主要新聞3紙に送られた暗号文には、「私はゾディアック」という署名と共に、円の中に十字が描かれた独特のシンボルマークが添えられていました。

さらに、犯人はメディアとの関わり方に特異性を見せました。公共の関心を引きつけようとする強い欲求が見られ、新聞社へ電話をかけるなど、積極的に自らの存在をアピールしようとする行動が目立ちました。1969年10月には、有名トーク番組「ジム・ダンバーショー」に電話をし、「私はゾディアックだ」と名乗り、警察に捕まらないことを自慢したことも記録されています。

この事件が社会に与えた影響は計り知れません。まず、地域社会に広がった恐怖により、それまで安全だと思われていた場所でも人々は警戒するようになりました。特に若いカップルは、人目につかない場所でのデートを避けるようになります。

また、この事件はマスメディアの犯罪報道のあり方にも影響を与えました。犯人との直接的なコミュニケーションが、ある種の「ゲーム」のように報じられる状況が生まれ、後の犯罪報道におけるセンセーショナリズムの先駆けとなりました。

さらに、警察組織間の連携不足という問題も浮き彫りにしました。事件は複数の郡にまたがって発生したため、捜査は複雑化し、情報共有の重要性が認識されるきっかけにもなりました。

1974年を最後に犯人からの手紙は途絶え、事件は未解決のまま時間が経過していきます。しかし、その特異性と謎めいた犯人像から、ゾディアック事件は今も多くの人々を魅了し続け、映画や書籍のモチーフとなっているのです。

ゾディアック・キラーからの挑戦状―暗号文と犯行声明の分析

ゾディアック事件の最大の特徴は、犯人が警察や報道機関に送り続けた暗号文と犯行声明です。1969年7月から1974年にかけて、彼は少なくとも20通以上の手紙を送りました。これらの手紙には独特の特徴があり、犯人の内面を垣間見せる重要な証拠となっています。

送られた暗号文のうち、最も有名なのは「408文字の暗号(Z408)」と呼ばれるものです。この暗号は3つの新聞社に分けて送られ、それぞれ異なる部分が掲載されました。驚くべきことに、この暗号は送付からわずか1週間後に、サリナスの高校教師ドナルド・ハーデンとその妻ベティによって解読されました。解読された内容は以下のようなものでした:

「人を殺すのが好きだ。とても楽しい。森の中で最も危険な動物を狩るようなものだ。私が死んで転生する時、天国で奴隷として私のためにいる人々を集めるのが楽しみだ…」

この暗号文からは、殺人への異常な嗜好と、死後の世界への奇妙な信念が読み取れます。特に被害者を「奴隷」として集めるという表現は、支配欲や優越感の表れと分析されています。

解読された暗号に続いて送られたのが「340文字の暗号(Z340)」です。こちらは約50年間解読されないままでしたが、2020年12月、ついにオーストラリア人数学者とアメリカ人プログラマーのチームによって解読されました。その内容は:

「私はゾディアックで、私を明らかにした暗号でもなかった。私は警察に連行されるのが怖いからだ。ガス室はとても恐ろしいが、いつかそこで私を待っている人たちに会うからそれでいい…」

Z340の解読は重要な成果でしたが、未だに解読されていない暗号も残されています。特に「ジューンレター(Z13)」と呼ばれる13文字の短い暗号には、犯人の実名が隠されているとの説もあります。

これらの手紙を心理学的に分析すると、ゾディアック・キラーには次のような特徴が見られます:

  1. 注目欲求が非常に強い:メディアの反応に敏感で、自分の「成果」が十分に報道されないと不満を示す
  2. 優越感と知的誇示:警察を出し抜いている自分に誇りを持ち、知性を誇示したい欲求がある
  3. 二重人格的な側面:日常生活では平凡な人物である可能性が高い
  4. 計画性と冷静さ:犯行は計画的で、手紙の送付にも細心の注意を払っている

特に興味深いのは、彼の手紙におけるスペルミスの多さです。「クリスマス」を「Christmass」と書くなど、明らかな綴りの誤りが多く見られます。これについては:

  • 意図的に教育レベルを低く見せる作戦だった
  • 実際に教育レベルが低かった
  • ディスレクシア(識字障害)の可能性がある

などの説が提唱されています。

また、犯行声明には変化のパターンも見られます。初期の手紙では冷静さを保っていましたが、時間の経過とともにフラストレーションや焦りが増していき、最終的には脅迫めいた内容が増えていきました。

これらの暗号文と犯行声明は、ゾディアック事件の核心部分であり、半世紀以上経った今も、犯人の心理や動機を理解する鍵として研究され続けています。

主要容疑者たち―これまで浮上した有力候補とその根拠

ゾディアック事件の捜査において、数多くの容疑者が浮上しては消えていきました。半世紀以上経った今も、「真犯人は誰だったのか」という問いに対する確定的な答えはありません。ここでは、最も注目を集めた容疑者たちとその疑われた根拠について詳しく見ていきましょう。

アーサー・リー・アレン(1933-1992)

最も有力視された容疑者の一人がアーサー・リー・アレンです。児童への性犯罪で有罪判決を受けた経歴を持つアレンは、以下の点から疑いを持たれました:

  • 目撃証言との一致: ベリーエッサでの事件の目撃者による描写とアレンの外見が類似していた
  • 行動的証拠: ゾディアックの殺人があった日に「人殺しに行ってくる」と友人に告げていた
  • 物的証拠: アレン所有の腕時計は「ゾディアック」ブランドで、ロゴマークが犯人の使用したシンボルと同一だった
  • 暗号知識: 海軍で暗号を学んだ経験があり、学生に暗号を教えていた
  • 武器の所持: 犯行で使用されたものと同型の銃と血のついたナイフを所持していた

しかし、アレンのDNAや筆跡が証拠品と一致しなかったことから、決定的な証拠は得られませんでした。彼は1992年に心臓発作で死亡しています。

ゲイリー・フランシス・ポスト(1933-2018)

元米軍で暗号技術者だったポストは、その専門知識からゾディアック容疑者として注目されました:

疑われた根拠詳細
暗号知識軍での暗号技術者としての経験
居住地犯行現場近くに住んでいた
外見目撃証情報と合致
行動パターン犯行時間に不明瞭な行動履歴

ポストの親族はDNAテストに協力しましたが、決定的な証拠は得られていません。

リチャード・グレコ(生没年不詳)

サンフランシスコ在住の映画製作者だったグレコは、ドキュメンタリー監督ハーランド・ロードによって容疑者として名前があがりました:

  • 専門知識: 映画関係者として暗号や象徴に関する知識があった
  • 心理プロファイル: 知的で注目を求める性格が犯人像と一致
  • 地理的近接性: 犯行現場周辺に精通していた

しかし、グレコと直接結びつく証拠は少なく、容疑者としての信憑性は専門家の間でも意見が分かれています。

ロレンス・ケイン(1924-2010)

2009年に元警察官デニス・カウフマンが指名した容疑者で、以下の特徴が注目されました:

  • 数学的才能: 暗号作成に必要な数学的素養を持っていた
  • 筆跡類似: 手紙の筆跡とケインの筆跡に類似点があるとされる
  • 犯行時の行動: 犯行時刻に不明瞭な行動履歴があった

ただし、ケインと直接結びつける決定的な証拠はなく、「真犯人」とする説得力ある証拠は提示されていません。

その他の注目すべき容疑者

  • ブルース・デイビス: チャールズ・マンソン・ファミリーのメンバー。暗号と同様の文章を書いていた
  • リック・マーシャル: 元警察官で、妻が「夫がゾディアックだった」と告発
  • ロス・サリバン: ゾディアック事件を調査していた元警察官のデイブ・トスキが指名

複数犯の可能性

注目すべき視点として、「ゾディアック・キラーは一人ではなく複数人だった」という説もあります。手紙の筆跡分析から、少なくとも2人以上の人物が関わっていた可能性も指摘されています。

以上の主要容疑者たちに共通するのは、「疑わしい状況証拠は存在するものの、決定的な証拠に欠ける」という点です。50年以上経った今も、真犯人の特定には至っていません。

捜査の難航―証拠不足と捜査手法の限界

ゾディアック事件の捜査が半世紀以上にわたって難航している背景には、いくつかの重要な要因があります。1960年代から70年代初頭という時代的制約と、事件自体が持つ複雑な性質が、捜査を困難にした主な理由です。

まず、当時の科学捜査技術の限界が大きな壁となりました。現代の捜査では当たり前となっているDNA鑑定技術は、ゾディアック事件当時には実用化されていませんでした。DNAを利用した犯罪捜査が一般的になったのは1980年代後半からで、それ以前の事件では、指紋や血液型など限られた物的証拠に頼らざるを得ませんでした。

ゾディアック・キラーの手紙には唾液の痕跡が残されていましたが、当時はこれからDNAプロファイルを作成する技術がなく、貴重な証拠を最大限に活用できませんでした。また、指紋鑑定技術も現在ほど精密ではなく、部分的な指紋からの照合は困難でした。犯行現場に残された証拠も、今日の基準から見れば不十分な保全方法で扱われていたケースが多くあります。

次に、管轄の問題と警察組織間の連携不足も重大な障害となりました。ゾディアック事件は、以下のように複数の郡にまたがって発生しました:

  • ソラノ郡(ベニシア、バレーホ)
  • ナパ郡(レイク・ベリーエッサ)
  • サンフランシスコ郡(プレシディオハイツ)

各地域の警察署は独自に捜査を進めましたが、情報共有のシステムが確立されておらず、重要な証拠や情報が他の捜査チームに適時に伝わらないことがありました。例えば、ある管轄で収集された指紋情報が、別の管轄の捜査官にはすぐに共有されないといった問題が生じていました。

この問題を解決するために1969年後半に「ゾディアック特別捜査本部」が設立されましたが、組織間の壁を完全に取り払うことはできず、捜査の効率性は大きく損なわれていました。

さらに、目撃証言の信頼性も大きな課題でした。ゾディアック事件では、犯人を目撃したとされる複数の証言がありましたが、それらは必ずしも一致せず、犯人像を絞り込むことが困難でした。特に、ストレスや恐怖を感じる状況下での目撃は記憶の精度が低下することが現代の研究で明らかになっていますが、当時はこうした目撃証言の心理学的限界への理解が十分ではありませんでした。

例えば、ベリーエッサの事件での生存者であるブライアン・ハートネルの証言と、プレシディオハイツの事件でタクシー運転手を殺害した際の目撃者の証言は、犯人の体格や特徴について食い違う点がありました。これは同一犯によるものなのか、あるいは模倣犯の可能性もあるのかという議論の火種にもなりました。

証拠保全の問題点も見逃せません。現代の犯罪捜査では当たり前となっている厳格な証拠保全手順が、当時は十分に確立されていませんでした。証拠品の汚染や紛失のリスクも高く、特に小さな警察署では証拠の長期保管施設が十分でないケースもありました。

そして最後に、時間経過による捜査の困難さが挙げられます。事件発生から年月が経つにつれ:

  • 目撃者の記憶が薄れていく
  • 関係者が亡くなる
  • 物的証拠が劣化する
  • 当時の捜査官が退職し、知識やノウハウが失われる

といった問題が生じます。特に、最後の犯行から約50年が経過した現在では、当時の捜査に直接関わった人々の多くが既に引退または他界しており、一次情報へのアクセスが極めて困難になっています。

このように、技術的限界、組織的な問題、時間の経過という複合的な要因が重なり、ゾディアック事件の解決を難しくしているのです。

現代科学とゾディアック事件―DNA鑑定と最新技術による再捜査

半世紀以上にわたり未解決のままとなっているゾディアック事件ですが、現代科学の急速な発展により、新たな展開が期待されています。特に、過去20年間の科学捜査技術の飛躍的進歩は、かつては解決不可能と思われた冷凍事件(コールドケース)を次々と解決に導いています。ゾディアック事件においても、こうした最新技術を活用した再捜査が進められています。

DNA証拠の発見と分析は、再捜査の中心的な役割を果たしています。ゾディアック・キラーから送られた手紙の封筒や切手には、唾液のDNAが残されている可能性があります。2002年、サンフランシスコ警察は保管されていた手紙から部分的なDNAプロファイルの抽出に成功しました。このDNAプロファイルを用いて、最有力容疑者と考えられていたアーサー・リー・アレンとの照合が行われましたが、一致しないという結果が出ています。

また、2018年には、タクシー運転手ポール・スタインの殺害現場から回収されていた血痕付きの衣服からもDNA抽出が試みられました。現代のDNA抽出技術は、わずかな量や劣化したサンプルからでもプロファイルを作成できるほど高感度になっています。例えば:

  • 次世代シーケンシング(NGS):従来法では検出できなかった微量DNAの分析が可能
  • 低コピー数DNA分析:わずか数細胞からでもDNAプロファイルを作成できる
  • ミトコンドリアDNA分析:核DNAが劣化していても母系の遺伝情報を追跡可能

こうした技術の発展により、かつては使用不可能と思われていた証拠からも新たな情報を引き出せる可能性が高まっています。

コンピュータによる暗号解析の進展も見逃せません。長年解読不可能とされていた「340文字の暗号(Z340)」が2020年に解読されたことは、大きな進展でした。この解読には、オーストラリアの数学者デイビッド・オーランチャクとアメリカのプログラマー、サム・ブレイクが開発した特殊なアルゴリズムが貢献しました。彼らは数百万通りの可能性を試行するコンピュータプログラムを作成し、最終的に解読に成功したのです。

この成功は、まだ解読されていない他の暗号、特に犯人の名前が隠されているとされる「マイネーム暗号(Z13)」の解読にも希望をもたらしています。現在、人工知能や機械学習を活用した新たな解読アプローチが試みられており、今後の進展が期待されています。

心理プロファイリング技術の発展も再捜査に新たな視点をもたらしています。FBIの行動科学部門を中心に発展したこの手法は、犯罪者の行動パターン、動機、心理的特徴を分析し、容疑者像を絞り込むのに役立ちます。現代の心理プロファイラーは、以下の点からゾディアック・キラーの特徴を再評価しています:

  • 組織化された犯行:計画性が高く、冷静に実行された犯行
  • 知性と教育レベル:暗号作成能力から推測される知的レベル
  • 異常な自己顕示欲:メディアへの積極的な接触
  • 二重生活の可能性:日常では平凡な生活を送っていた可能性

さらに、地理的プロファイリングと呼ばれる手法も適用されています。これは犯行場所のパターンから犯人の居住地や活動範囲を推定する科学的手法です。カナダの犯罪学者キム・ロセモによって開発されたこの技術は、ゾディアック事件の犯行地点の分布から、犯人が活動していた中心地域を特定しようとしています。

これらの最新技術の応用は、ゴールデンステート・キラー事件などの他の冷凍事件の解決でも成功を収めています。2018年に解決したこの事件では、40年以上前の犯行現場から採取されたDNAと、遺伝子系図学的手法を組み合わせることで犯人の特定に成功しました。

ゾディアック事件においても、こうした科学技術の進歩が新たな展開をもたらす可能性は高いといえるでしょう。半世紀の時を超えて、現代科学が過去の謎に光を当てる日は、案外近いのかもしれません。

新たな視点―市民探偵と独自捜査の展開

ゾディアック事件の特異性は、公式の捜査機関だけでなく、一般市民による独自の捜査活動を生み出してきました。「市民探偵(シチズン・ディテクティブ)」と呼ばれるこれらの人々は、過去50年以上にわたり、独自の視点から事件の解明に取り組んでいます。彼らの活動は、時に公式捜査にも新たな視点をもたらす貴重な存在となっています。

事件に魅せられた民間調査員たちの代表格として、ロバート・グレイスミスの存在は特筆に値します。元記者のグレイスミスは、1986年に『Zodiac』、2002年に『Zodiac Unmasked』を出版し、アーサー・リー・アレンを有力容疑者として指名しました。彼の著作は後に映画「ゾディアック」の原作となり、事件への大衆の関心を再び呼び起こす役割を果たしました。

また、デイヴ・トスキという元刑事は退職後も独自に捜査を続け、『The Zodiac Killer: Case Closed?』という著書で、ロス・サリバンという新たな容疑者を指名しました。彼らのような元捜査関係者が、職務上の制約から解放されて独自の視点で捜査を続けるケースは少なくありません。

特筆すべきは、インターネットを活用した集合知の力です。ゾディアック事件に関する情報を共有するウェブサイトやフォーラムは数多く存在し、世界中の人々が証拠を検証し、新たな仮説を提示しています。代表的なサイトとして:

  • ZodiacKiller.com: 1998年から運営されている老舗サイトで、事件に関する公式文書や証拠のアーカイブ
  • ZodiacCiphers.com: 暗号解読に特化したサイトで、未解読暗号への新たなアプローチを模索
  • Reddit r/ZodiacKiller: 4万人以上のメンバーを持つコミュニティで、日々新たな仮説が議論される場

こうしたプラットフォームでは、集合知と呼ばれる現象が生じています。一人では気づかない細部も、多くの目で検証することで新たな発見につながる可能性があるのです。実際に、2020年に解読された340文字の暗号も、長年にわたる暗号解読コミュニティの協力があってこその成果でした。

書籍や映画による新たな仮説の提示も、事件解明に寄与しています。2007年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督の映画「ゾディアック」は、単なるエンターテイメントにとどまらず、綿密な史実調査に基づいた作品として高い評価を得ました。この映画をきっかけに事件に関心を持ち、独自の調査を始めた人も少なくありません。

書籍の分野では、ゲイリー・L・スチュワートの『The Most Dangerous Animal of All』(2014年)が注目を集めました。著者は自身の実父であるアール・ヴァン・ベスト・ジュニアがゾディアック・キラーだったという衝撃的な主張を展開し、DNAや筆跡など様々な証拠を提示しました。この著作は後にFXネットワークでドキュメンタリーシリーズ化されています。

ポッドキャストやドキュメンタリーの影響も無視できません。「True Crime」ジャンルの隆盛により、ゾディアック事件を取り上げた作品は数多く制作されています:

  • 「Hunt for the Zodiac Killer」(History Channel): 元FBI捜査官や暗号解読専門家によるチームが、最新技術を駆使して事件に挑む
  • 「The Case of the Zodiac Killer」(ポッドキャスト): 詳細な事件の検証と新たな仮説の紹介
  • 「Monster: The Zodiac Killer」(ポッドキャスト): 時系列に沿った事件の詳細な再検証

これらのメディア作品は、新たな証言や証拠を掘り起こす役割も果たしています。番組制作のための取材過程で、これまで公になっていなかった情報が発見されるケースもあるのです。

しかしながら、市民捜査には明確な限界も存在します。法的な捜査権限がないため、新たな物的証拠の収集や関係者への正式な事情聴取はできません。また、一部の「市民探偵」による過度な憶測や根拠の薄い主張が、むしろ捜査を混乱させるケースも見られます。無実の人物が犯人として名指しされ、その名誉が傷つけられる危険性も無視できません。

それでも、この「市民探偵」たちの存在は、50年以上経った今も事件が忘れられることなく、解決への希望が持ち続けられる原動力となっているのです。

ゾディアック事件と現代文化―メディアにおける描写と社会的影響

未解決のままのゾディアック事件は、半世紀以上が経過した今もなお、大衆文化に強い影響を与え続けています。特に映画、テレビドラマ、書籍などのメディアを通じて、この事件は単なる過去の犯罪事件ではなく、現代社会においても強い存在感を持つ文化的アイコンとなっています。

映画「ゾディアック」に見る事件の描写は、この事件のメディア表現の代表例と言えるでしょう。2007年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督の作品「ゾディアック」は、事件を題材にした作品の中でも特に高い評価を受けています。この映画の特筆すべき点は、徹底した史実考証にあります。フィンチャー監督は、撮影に先立って数年にわたる調査を行い、事件の細部まで忠実に再現しようと試みました。

作中では、ジェイク・ギレンホール演じる新聞漫画家のロバート・グレイスミスが、事件の真相に取り憑かれていく様子が描かれています。彼が事件に没頭するあまり、私生活が崩壊していく描写は、「真実を追求することの代償」というテーマを浮き彫りにしています。また、ゾディアック・キラーの姿を明確に描かず、謎めいた存在として表現する手法は、未解決事件ならではの不気味さを効果的に伝えています。

映画「ゾディアック」の興行的成功は、犯罪ドキュメンタリーの隆盛とも時期的に重なります。2010年代以降、Netflix、HBO、Huluなどの配信サービスでは、実際の犯罪事件を扱った「True Crime(実録犯罪)」ジャンルのドキュメンタリーが急増しました。これらの作品では、単に犯罪の詳細を伝えるだけでなく、捜査の過程や社会的背景にも焦点を当て、深い洞察を提供するアプローチが主流となっています。

ゾディアック事件を題材にしたドキュメンタリーも数多く制作されており、その代表例として以下が挙げられます:

  • 「This is the Zodiac Speaking」(2008年): 生存者のインタビューを含む詳細な事件記録
  • 「The Hunt for the Zodiac Killer」(2017年、History Channel): 最新技術を用いた暗号解読の試み
  • 「The Most Dangerous Animal of All」(2020年、FX): 自分の父親がゾディアック・キラーだと主張する男性の物語

これらの作品の多くは、未解決事件がもたらす恐怖と魅力を巧みに描き出しています。結末が明かされない「オープンエンド」の物語は、視聴者の想像力を刺激し、自分なりの推理を展開する余地を与えます。このような参加型の要素が、ゾディアック事件への継続的な関心を維持する一因となっています。

事件が50年以上前に発生したにもかかわらず、なお強い関心を集める背景には、犯罪報道の変遷も関係しています。1960~70年代当時は、犯罪報道の多くが単なる事実伝達にとどまっていましたが、現代のメディアでは犯罪の心理的・社会的側面に踏み込んだ分析が一般的になっています。

ゾディアック事件は、この変化の過渡期に発生したため、現代的な視点から再評価されることで新たな側面が発見され続けているのです。特に注目すべきは、犯人自身がメディアを通じて自らの存在をアピールするという、メタメディア的な側面です。犯人は新聞社に手紙を送り、その掲載を要求することで、いわば「自らの物語」を創り上げようとしました。この点は、現代のソーシャルメディア時代における「自己表現」の先駆けとも言える側面を持っています。

さらに、この事件が法執行機関に与えた教訓も大きいものでした。複数の管轄にまたがる事件捜査の難しさが浮き彫りになったことで、後の「連続殺人専門捜査部門」や「行動科学部門」といった組織の創設に影響を与えたとされています。特にFBIの「連続殺人追跡プログラム(ViCAP)」設立に、ゾディアック事件の教訓が活かされたという指摘もあります。

このように、ゾディアック事件は単なる過去の犯罪事件ではなく、現代のメディアや捜査手法、さらには大衆文化全般に深い影響を与え続けている「生きた事件」であり、未解決であるがゆえに今も多くの人々を魅了し続けているのです。

解決への展望―残された可能性と今後の捜査方向

半世紀以上未解決のままとなっているゾディアック事件ですが、今なお解決の可能性は残されています。近年の科学技術の進歩と新たな捜査手法の開発により、かつては解決不可能と思われたコールドケースが次々と解決に至る事例が増えています。ゾディアック事件においても、その謎を解く鍵となり得る新たなアプローチが模索されています。

コールドケース解決の最新事例から学ぶこととして、特に注目されるのが「ゴールデンステート・キラー」こと「オリジナル・ナイトストーカー」事件の解決です。この事件は、1970年代から80年代にかけてカリフォルニア州で発生した連続強姦殺人事件で、長年未解決となっていました。しかし、2018年に突如として73歳のジョセフ・ジェームズ・デアンジェロが逮捕され、事件は解決に至りました。

この事件解決のカギとなったのが、遺伝子系図学(Forensic Genealogy)という新たな捜査手法でした。犯行現場から採取されたDNAサンプルを、23andMeやAncestry.comなどの一般向け遺伝子検査サービスのデータベースと照合することで、犯人の親族を特定し、家系図を辿って容疑者を絞り込むという方法です。

ゾディアック事件においても、この手法の適用が期待されています。犯人の手紙の封筒や切手に残された唾液のDNA、タクシー運転手殺害時の血痕など、複数のDNA証拠が保存されています。これらを最新の手法で分析することで、犯人の親族にたどり着く可能性があるのです。

実際、2018年にサンフランシスコ警察は、ゾディアック事件の証拠品からDNAを採取し、遺伝子系図学的手法を用いた分析を開始したと発表しています。ただし、現時点でこの分析結果が公表されていないことから、十分な品質のDNAプロファイルが得られていない可能性も指摘されています。

また、人工知能を活用した証拠分析も新たな突破口となる可能性があります。AIは以下のような分野で捜査に貢献することが期待されています:

  1. 暗号解析: 未解読の暗号文(特にZ13とZ32)の解読にAIを活用
  2. 筆跡分析: 手紙の筆跡と容疑者の筆跡を高精度で比較
  3. パターン認識: 犯行の地理的・時間的パターンから容疑者の活動圏を推定
  4. 顔認識: 目撃者の証言から作成された犯人像と、当時の写真記録との照合

特に注目されるのが、大規模言語モデル(LLM)を活用した暗号解読のアプローチです。2020年に340文字の暗号が解読された際には、伝統的な暗号解析と現代のコンピュータ技術が組み合わされました。現在開発中のAIモデルは、さらに複雑なパターンや文脈を理解する能力を持ち、残された暗号の解読に新たな視点をもたらす可能性があります。

しかし、事件解決に向けた動きには、時効と法的課題という壁も存在します。一般的に殺人事件には時効がないものの、50年以上が経過した今、もし犯人が生存していたとしても高齢であることが予想され、起訴や裁判の実現可能性は低くなっています。また、現在の法的基準から見て、当時収集された証拠が裁判で有効と認められるかという問題もあります。

さらに重要なのは、被害者家族の視点と正義の実現です。事件から半世紀以上が経過し、多くの被害者遺族もまた高齢となっています。彼らにとって事件の解決は、単なる犯人の特定以上の意味を持ちます。それは長年の不確かさに終止符を打ち、心の平和を得るための重要なステップなのです。

ゾディアック事件の被害者家族の一人、デイブ・ファラデイ(最初の犠牲者デビッド・ファラデイの兄)は、インタビューで次のように語っています:

「私たちが求めているのは、単に誰かを罰することではありません。真実を知ることです。弟が何故、誰によって命を奪われたのか。その答えを知ることが、私たちの心の傷を癒す第一歩になるのです」

このような被害者家族の声に応えるためにも、捜査は継続されるべきであり、真実の解明に向けた努力は続けられています。

以上のように、ゾディアック事件の解決に向けた様々なアプローチが試みられていますが、最も重要なのは、この事件が「過去のもの」として忘れ去られないことでしょう。継続的な関心と新たな技術の適用により、いつか必ずこの未解決事件の真相が明らかになる日が来ることを期待したいものです。

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